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Your search : [ author:え 劉心武 姜吉維] Total 914 Search Results,Processed in 0.105 second(s)
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1. 担任教師 (上)
(一)あなたは、進んでチンピラ非行少年と知り合いになり、しかも毎日いっしょにつきあっていこうなどという気になるだろうか。きっといやだと思うだろう。第一、なぜこんな突飛なことをきくのかと反問するにちがいない。ところが、これは光明中学で現実におきたことなのである。学校の党支部事務室で、色黒のやせて丈夫そうな曹支部書記が、三年三組担任の張俊石教師を信頼したまなざしで見つめながら、遠回しにこの問題を出した
Author: え 劉心武 姜吉維 Year 1978 Issue 8 PDF HTML
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3. らくだ色のオーバーを着た青年
一一九七四年の春節(旧正月)が過ぎて間もないある夜、わたしは気の晴れないままに、居間の机のそばでタバコを吸っていた。ふだん、わたしはタバコを吸わないのだが、その日ばかりは帰宅の途中、わざわざ店へ立ち寄って一箱買いもとめたのだった。製本工場で働いている妻は、夜勤でいない。子供は全託の託児所に預けてある。こうしてひとりで家にいるのも、静かで悪くない。耳に入るのは、庭木のこずえを渡ってゆく風の音だけだ。
Author: 劉心武 え·孫以増 Year 1978 Issue 12 PDF HTML
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4. “開放中国”の窓 北京 王府井
東京に銀座、ニューヨークに五番街、パリにシャンゼリゼ通りがあるように、北京にも“都市の顔”、王府井通りがある。一日中、買い物客でごったがえす通りは、いわば“開放中国”の窓。この窓から、最近の北京の、また中国の大きな変化をかいま見ることができる。 気鋭の中年作家、劉心武氏の筆になる「“開放中国”の窓―北京·王府井」(原題は「王府井万花筒」)から四篇を選んで訳載する。①夜が明ける通りにひびくホウキの音
Author: 劉心武 さしえ 法乃光 Year 1987 Issue 1 PDF HTML
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5. 神筆の馬良
むかしむかし、馬良(ばりよう)(マー·リヤン)という子供がいました。お父さんやお母さんにはやくから死にわかれ、ひとりで薪とりや草かりをしてくらしていました。馬良は生れつきかしこく、それに絵がなによりもすきで、絵をかきたいと思わぬ日はありませんでしたが、貧乏のため、筆一本買えませんでした。ある日のこと、塾の前をとおりかかつた馬良は、塾の先生が絵を描いているのを見て、矢も楯もたまらず、そのままつかつか
Author: え·張光宇 Year 1958 Issue 1 PDF HTML
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6. 錦のゆくえ
これは中国の少数民族、チワン(僮)族の間につたわるお話です。むかし、ある大きな山のふもとに一軒のあばら家がありました。そのあばら家には夫に先立たれた一人のおばあさんと三人の息子が住んでいました。おばあさんは錦織りがたいへん上手でした。おばあさんの織つた錦の模樣は、花でも小鳥でもみんなほんものそつくりです。おばあさんの家では、その錦を賣つてくらしを立てていました。その日もおばあさんは手織りの錦を賣り
Author: え·顔梅華 Year 1958 Issue 4 PDF HTML
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7. 中国の印象
私の中国訪問は、一九五四年十月、国慶節のお招きを受けて、約一カ月、中国各地を訪問したのが最初で、今回は二回目です。五年半ぶりにみる中国は、北京はじめ、各地とも、大建築が完成し、面ぼうを一変していてその躍進ぶりには、眼をみはらざるを得ないわけですが、二回の訪問を通じて、私の受けた印象を、一言でいえば、中国は、婦人にとつての、正に天国だということです。人間の表情が柔和で、しかも非常に明るい。子供は、人
Author: 齊藤きえ Year 1960 Issue 8 PDF HTML
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8. 銀のかんざし
むかし、あるところにおばあさんが二人のむすこと住んでいました。二人のむすこは、毎日山へ柴刈りにゆき、それを売って、おっかさんを養っていました。山へゆく途中で、息子たちは毎日のように一人の娘をみかけました。娘は井戸ばたで洗濯をしているか、さもなければ、田のあぜで牛にやる草を刈っていました。むすこたちは、二人ともこの娘がたいへん好きになり、お嫁にもらいたいものとひそかに考えていました。けれどお互いに口
Author: え·李玉紅 Year 1964 Issue 9 PDF HTML
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9. ラジオ体操
Author: え·国良 Year 1972 Issue 2 PDF HTML
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10. 競走
Author: え·国良 Year 1972 Issue 4 PDF HTML